先日、土用の丑の日にはうなぎを食べるという話になって、
土用の丑の日にうなぎを食べると発案したのは、
平賀源内なんだって~。
と子どもに話したら、
「知ってるー。エレキテルの人やろ?」
と返されました。
へ?なんでそんなこと知ってるの?
「漫画で読んだー。」
とのこと。
むむっ、最近は漫画も侮れないなと思った一幕でした。
土用の丑にうなぎを食べる発案をしたのは平賀源内って本当?
最近では、夏の土用の丑の日が近づくと、
スーパーなどではうなぎがずらっと並びますね。
精をつけるとか、夏ばて防止という理由で
夏の土用の丑の日にはうなぎを食べる
というのは一般的になっていますよね。
でも、昔は、うなぎのおいしいといわれる旬の時期は
秋から冬にかけてといわれていました。
それに加えて、うなぎの蒲焼は味も濃く、こってりしているので、
夏場はなかなか売れなかったようです。
では、なぜ夏の土用の丑の日にうなぎを食べるようになったのか?
というと、はっきりとしたことはわかっていないようで、
諸説いろいろあるようです。
ただ、平賀源内が考えたというエピソードがあって、
そのお話がとても有名になっているようなんですよ。
うなぎ屋さんが夏でもうなぎが売れるようにするため、
平賀源内に相談したところ、
夏にうなぎが売れるアイディアを授けたというのです。
平賀源内は
土用の丑の日に『う』のつく食べ物を食べると良いという民間信仰と
うなぎが古来より精をつけるのに良い食べ物として知られていたことを
あわせて、
「本日 土用の丑の日」
という大きな看板をうなぎ屋の前に立てかけさせたといわれています。
その後、大きな看板を見て、足を止めた江戸っ子たちは、
うなぎの焼けるいいにおいに誘われて店に入り大繁盛し、
他のうなぎ屋も同じようにまねをして、
夏の土用の丑の日にうなぎを食べることが一般的になっていったというわけです。
ちなみに、子どもが読んでいた漫画では、
うがつく食べ物とか、うなぎが精がつくというような話はなく、
『土用の丑の日』と書いた大きな看板と、
『明後日』、『明日』、『本日』の3つの札を渡して、
3日間看板を出すようにうなぎ屋さんに指示し、
うなぎ屋さんは、3日間その看板のことを何も言わず、
ただうなぎを焼いていて、
土用の丑の日の当日にはお店は大繁盛していたという話になっていました。
平賀源内って何した人なの?
土用の丑の日のエピソードから
平賀源内はユニークな発想の持ち主であったのだろうなと
想像はできますが、
具体的に何をした人かと聞かれると、
発明家 であり、
文芸家 であり、
画家 であり、
陶芸家 であり、
鉱山開発者 であり、
起業家 でもあり・・・
と一言では言い表せないくらい多くのことを手がけた人といえそうです。
その中でも一番有名なのが
発明家 としての源内ではないかと思います。
平賀源内が作ったものは、
日本初の万歩計
寒暖計
燃えない布「加浣布(かかんぷ)」
日本初の西洋画
オリジナル陶器(源内焼き)
などがあります。
うちの子も言っていたエレキテル(摩擦起電器)は
漫画に描かれるほど有名ですが、
これは彼が発明したものではなく、
壊れたエレキテルを修復したとされています。
作ったものに”日本初の西洋画家”とありますが、
平賀源内の書いた「西洋婦人図」は神戸市立博物館に所蔵されています。
いわゆるマルチな才能の持ち主で、
江戸では知らない人はいないというほどの有名人だったようです。
江戸のレオナルド・ダ・ビンチと評する人がいるのもうなずけますね。
まとめ
私自身、歴史というか社会全般が苦手で、
あまり勉強してこなかったのですが、
子どもは歴史ものの漫画にどっぷりはまっています。
あまりに知識が乏しいので、
子どもに「お母さんもこの漫画読んだほうがいいよ。」
とか言われる始末です^^;;
今回、平賀源内を調べてみて、
一人の人物に注目して、歴史を見ていくと、
結構面白いんじゃないかと思いました。
次は誰を調べてみようかな?と思案中です。